今井建築 代表取締役 今井の生い立ちと家づくりへの想い

昭和58年5月

 

飯田市にて、今井家の長男として生を受ける。

 

 

父を筆頭に、母、姉との4人家族。

 

そんな私の父は、大工でした。

 

幼少の頃より自宅の外で加工する姿をよく見たり、

 

現場へついていったこともしばしば。

 

木っ端を拾って玄翁と釘を使ってわけのわからない物を作って喜んでいました。

 

 

 

 

保育園の頃は「大工になりたい」そう言った記憶があります。

大工はやめておけ!

 

幼心に対して、両親は大工の道を勧めたわけではなく、むしろ阻止していた気がします。

 

まかないも決して良いわけではなく、「うちは貧乏だから」が母の口癖でした。

 

口では反対はされつつも漠然と、後を継ぐことになるのかな?という

 

プレッシャーも感じつつ、小、中、高校生の間は大工になるという夢からは一旦離れ、

 

何になろうかな?物を作るのは好きなんだよな。くらいでした。

 

中学校3年生のとき、高校の体験入学にいきます。

 

工業高校なども見学にいきましたがなんとなくしっくりこない・・・。

 

そんな中自分にビビッときた学校が、飯田長姫高校。今の飯田OIDE長姫高校ですね。

 

とにかく長姫の建築科の製図が面白かったんです。

 

ドラフターと呼ばれる大きな製図版を使って線をひくのが。

 

その前に男ばっかだ!長姫なら女の子いる!長姫にしよう!(笑)

 

そんな邪念も混ざりつつ、家に帰って父に長姫の建築に行きたいと話すと

 

「何を考えとるのよ」でした。

 

「大工はもちろん、建築の理不尽な世界はやめておけ。」

 

今思うとそういう意味だった気がします。

 

正直なところ長姫に進学した際は、建築に興味津々!とまではいきませんでした。

 

そんな中、ひょんなとから空手部に入部。

 

極真のようにフルコンタクトで当てるわけではなく、寸止め。

 

今でいう伝統派空手です。

 

マイナー競技ながら部員も多い中、北信越大会に出られるくらいの成績ではありました。

 

ここで大工に必要な【 筋力 バランス感覚 精神力 】を養うことになります。

 

生まれつきの手のデカさを名門コーチが

 

「いい拳(こぶし)しているね!」と褒めてくださったこともありました。

 

 

 

進路を決める時期になり、周りの大半は専門校や四年制大学に進学するなか、

 

私は家庭の経済的事情もふまえ、就職を決意。

 

工業高校の体験入学で経験した、溶接をやってみようと思い、鉄工所へ就職。

 

鉄骨造を学ぶことになります。

 

建築関係、そしてものづくりには違いなかったのですが、

 

不景気のあおりをうけ、1年で倒産。

 

その後慌ててハローワークでみつけた水道設備屋さんに就くも、

 

どうもしっくり来ませんでした。

 

がしかし、幼少期以来久しぶりに、大工さんの仕事を目の当たりにしました。

 

家を造ってる。なんか面白そう。

 

まわりの人も頭が上がらないかんじ。偉そうなのも無理はない。

 

設備屋として、トイレの壁に、必要な紙巻器の木下地を釘で打ち込む。

 

面白い!

 

その日父に聞きました「大工の仕事はないの?」

 

やっぱり父は勧めません。

 

「夏は暑いし冬は寒い。刃物が切れんくなりゃー手入れをせんならん。

 

道具代だってバカにならん。普通のサラリーマンのほうがよっぽどいいぞ!」

 

予想どおりの答えにがっかり。

 

設備の仕事はどうしてもやりがいが沸かず、辞めてしまいます。

 

落ち込んでいる私を父が見かねたのか

 

「明日から一緒に現場に出るぞ!」

 

そう言ってくれたのは嬉しかったのですが、とりあえずといったところで、

 

ほんとに大工になることにはやっぱり賛成しません。

 

すが、大工はやっぱり面白かった。

 

毎日のように父についていき、数か月過ぎた頃、父はほろ酔いでこう言います。

 

「職人の世界は厳しいんだ。嫌だったら辞めろ。

 

悔しかったら、できるようになれ」

 

究極の二択。

 

しかし辞めるという選択肢はありませんでした。

 

やってやろうじゃねえか!!

 

それからなんとなくもやもやしていたものが吹っ切れ、本腰入れて大工の道を歩み始めます。

 

 

さらに二年後、住宅の仕事がしたいと思い、

 

野丁場の造作大工の父の元を離れ地元で有名な工務店の門を叩き、就職。

 

当時で職人を30人ほど抱えている会社です。

 

友人も二人いたのでなかなか負けられない世界  

 

社長に面接で話した「あの二人はライバルだと思っています」

 

でも当の本人たちは「弟子が入った」

 

そう思っていたみたい。

 

悔しい!ますます負けられない!!

 

大壁の仕事は出来て当たり前。

 

今では少なくなった真壁の部屋ができてこそ大工。

 

時間をかければできて当たり前。

 

早くてきれいな仕事ができてこそ大工!

 

普段の造作では班が違ったので友人とは一緒にはなりませんが、

 

建て方で同じ現場になればそれぞれいいところを見せようと躍起になります。

 

切磋琢磨されいい環境だったかもしれません。

 

休みも少なく 朝早いし夜も遅い。

 

けど仕事は嫌いじゃなかった。

 

褒められればうれしかったし、ダメだしされれば悔しかった。

父との別れ

だんだんコツもつかみいくらかできるようになってきた頃、父親が倒れます。

 

あんなに頑丈なつくりの親父がなんで?

 

脳腫瘍でした。

 

なかでもたちの悪い方で、みるみるうちに痩せてしまいます。

 

余命宣告をされたときはさすがにショックでした。

 

大工になるきっかけを与えてくれた父

 

引継ぎしようにも何をきいたらいいかわかりません。

 

私「工場どうすんの?材料いっぱいあるけど?」

 

父「なんでそんなこときくのよ…」

 

それ以上何もいえませんでした。

 

引継ぎのひの字もできないまま、父は59歳でこの世を去ります。

 

そのとき自分が27歳。まだ勤めでしたので今井建築は一旦休業してしまいます。

 

このころから沸々と野心が芽生え始めます…

 

父のような大工になりたい。

 

いや、父を超える大工にならなきゃ!

 

独立への準備を進めます。

 

 

本当の独立

 

 

ただ仕事をこなすだけではなく、請負だったらどう動くか。

 

無駄な動き、無駄な時間は許されない。

 

かといって手抜きも許されない。

 

さらなるスキルアップを心掛け、大工としても自信がついてきたころ、

 

ライバルに差をつけるため二級建築士の学校を申し込みます。

 

高い授業料、あとには引けない。受かるしかない!

 

大好きな晩酌を我慢して毎晩勉強に励みます。

 

その甲斐あって、学科は一回で、製図は二回目で見事合格!

 

世帯も持ち、第一子を授かり守るべきものが増えてきたころ、独立します。

 

自分の大工の腕でたくさんの人を喜ばせたい。

 

ひとつの会社に固執せず、自分の技術で稼いでいこう。

 

 最初は日雇いのような、日当の仕事しかありませんでしたが、

 

出会った方々に信頼していただき、お家1軒も任せてもらえるようになりました。

 

 

 

大工がアパート住んでちゃダメだ!と思い新築も考えましたが、

 

父の残してくれた実家を増改築 平屋の上に二階をのせる、

 

通称「おかぐら」で二世帯住宅を完成させます。

 

34坪の平屋が延床面積75坪になりました。

 

ちょっとデカすぎた!もちろん自分で造りました!

 

このころから、大工仕事だけでなく、協力業者の方々に要点を説明して

 

施工してもらう、施工管理の勉強が始まりました。

 

ただ大工の仕事をこなすのではなく、進行状況に応じて

 

各協力業者の方々と連携をとります。

 

解体から始まり、電気、基礎、設備、クレーン、足場、屋根、材木店、

 

建材店、外壁、左官、塗装、クロス、etc..

 

住宅を完成させるには十数社の協力が必要になります。

 

専門職なら誰でもいいわけじゃない、腕はもちろん、人柄も重要です。

 

そして元請けをやるには建設業の許可というものも必要です。

 

二級建築士が役に立ち、行政書士の先生にお願いして取得しました。

 

雇われ大工だったころからすればかなりの進歩!

 

そしてますます野心を爆発させます。

 

元請けになろう!お施主さんにとって一生に一度のマイホーム、

 

自分が請けて直接喜んでもらおう!

 

仕事の大半が下請け仕事でしたが、これはビルダーやハウスメーカーの営業さんが

 

仕事を受注、設計士さんが設計、製図、その図面をもとに

 

工事担当または監督とよばれる担当が大工はじめ各業者に指示して建物をつくります。

 

しかしながら、お施主様から実際施工する大工まで、間に3人ほど入るので、

 

伝達ミスがおきてしまうこともしばしば。そんなミスの尻拭いはいつも現場、職人。

 

私は考えます。

 

「お施主様の一生に一度の買い物でミスはあってはいけない」

 

「小規模の工務店なら伝達ミスもおこりづらい」

 

「大工が受注して大工が作ればお施主さんの声を直接形にできる!」

 

大工ってどの業種よりも一番現場にいる時間が長いんですよね。

 

平均的なお家のサイズで二か月くらいは居ます。お施主様とも何度も対面します。

 

そんな大工が最初から最後まで対応できたら、お施主様の理想のすまいを実現できる。

 

材料のことも造り方も、大工が一番知っています。

 

大工だけでも、効率よくシンプルに家造りを完結できるのです。

 

 

 

 

生まれも育ちも現在もこの飯田下伊那です。離れたことはありません。

 

南アルプスと中央アルプスの山々に囲まれ、台風などの災害も思ったより小さい。

空気がすんでいて、移住してこられた方のぜんそくが良くなったという話も聞きました。

 

ちょっと田舎だから車がないと不便だけど、土地代も安く、自然を十分に感じられます。

 

そんな地元、飯田下伊那の気候に合った、特性を生かした住まいをご提案致したく、日々精進したいと思います。

 

代表 今井裕司

 

昭和58年5月20日生まれ

 

趣味 ツーリング (所有バイク HarleyDavidson 98’fxstc)

 

座右の銘 一意専心